なぜ教育にパラダイムシフトが起こらないのか

漢字の書き順に意味はあるのでしょうか? その筋の人たち(有識者)に聞けばいろんな理由を挙げてくると思います。でもそういったものは「物事に精神を宿らせて作法や形を作る」日本人の気質でしかありません。「なければないで問題ない」ものがほとんどです。

学校の勉強にも似たようなことが言えます。今でも日本全体が「右へならえ」をしてしまう文科省の学習指導要領。その中身は「たくさんあるテーマややり方の一部を規範化したもの」でしかありません。

それに統一性と強制力を持たせて、全国一律「デナケレバナラナイ」の〇×採点方式にしてしまっているところが学校教育の最大の問題です。

この学校フランチャイズ向けマニュアルも、世界の変化やユーザーニーズから見ると相当しなびてきています。そしてそれは間違いなく日本人の経済力(稼ぐ力)を低下させています。

メニューの中身を変えることも一つですが、学習の領域や教え方、学び方にもっと自由度を持たせることはそれ以上に大事です。

文科省は昔ながらの「業界指導力」を保ち続けている数少ない役所です。これを教育界の旗本長老が擁護しているのが今の日本の学校教育。

民間もそれに逆らうことなく、大学入試を人生の最終目標にした「受験トーナメント」と「ナンタラ検定」といったシステムで、せっせと利権を養っています。

教育にパラダイムシフトが起こらないのは、そうした構造が盤石であること、そして今でも体制派が実権を押さえ込んでいること、革新派が弱っこちいこと、の3つが大きな理由です。

教育のパラダイムシフトはアウトサイダーによる破壊的な改革で実現します。eコマースで既成の産業構造が激変したように。

その時「子どもたちを人質」にした守旧派の本土防衛戦がどうなるか。この場面では政治が必要になってきます。日本の教育を変えるのは関係者の意思や力ではなく「政治がその気になる」ことが決め手です。