子どもたちよ、もっとフルスイングを

1980年代に巨人で活躍した元大リーガー、クロマティのインタビューを読んで確信しました。日本はあまりに「組織立ちすぎている」ということ。これが社会と人材の活力を押さえつけています。

小さい頃は学校や家庭でことあるごとに「どうしてみんなと同じにできないの」と言われ、受験や就職では「過去問だらけの必勝法」。

「君のやる気とアイデアで会社を変えてほしい」と期待されて入ったはずの企業でも「勝手なことをするな」と言われ、マニュアル漬けの仕事と人材育成。

すべてにおいて組織が優先する社会。「体制維持と守りのDNA」が強すぎる日本には、創造力やオリジナリティを求められる場面はあまりありません。考えることや努力すること自体がムダ(成功の阻害要因)になってきます。

こどもアカデミーは、子どもたちが周囲の顔色や予定調和を気にせず、伸び伸びと自分を表現できる学習環境を約束します。そしてコンピュータサイエンスを幹にした学びとキャリアで、個性を社会に役立てるお手伝いをしていきます。
 

日本の野球はあまりに組織立ちすぎている(Full-Count記事)
 

<クロマティの見た日本の野球>

「日本の野球はワンパターンと言ってもいいかもしれません。日本の野球はずっと同じで、サプライズというものが欠けています。言うなれば、全てが予想可能なのです。先頭打者がヒットを打てば、次の打者はバントする。」

「驚きという要素、本能と呼ぶべきものが足りません。ベースボールと野球はリズムが違いますね。依然としてあまりに組織立っているというか。ですから、私は選手の自己表現をもっと見たいと思っています。」

「折れない心」の育て方

こどもアカデミーの子どもたちを見ていると「レジリエンスがついてきたな」と思うことがよくあります。聞きなれない言葉ですがレジリエンス(Resilience)は「回復力」「立ち直る力」「折れない心」です。実はプログラミング学習は、レジリエンスに必要な「粘り強さ」と「試行錯誤」のトレーニングにとても向いています。

いま日本の子どもたちに一番必要なもの。それは新しい時代を生き抜く先進的な知識でも、取ってつけたような思考力や創造力でもありません。それよりも「できるか分からないことにも躊躇なくチャレンジして、それをやり遂げる力」を鍛えてほしいと思っています。

「正解がいくつもある」「はっきりした正解がない」、そういった時代の中では「正解(だけ)を覚えている」人材はしばしば思考や行動が行き詰ってしまうからです。

こどもアカデミーは「レジリエンスの源泉である興味と集中力をどうやって子どもたちから引き出すか」を最大のテーマとしています。

子どもたちが「ゲーム作りを楽しみながらテクノロジーを体感」し、「自分のアイデアをすぐに試してみる」ようになる。「感性と思考、実行力の連鎖」が「どんな環境でも逃げない心」を作っていく。そうして育った人材が自由で豊かな発想で、世の中をもっと面白いものに変えていく。

こどもアカデミーは柔軟で新鮮な学習コミュニティを通じて、そんな人材を一人でも多く増やせたらと願っています。

「レジリエンス」を知っていますか? (クローズアップ現代記事)


 

「今の学校」の向こうにあるもの

「どんどん厳しくなる学歴社会と競争に勝ち抜くには」。これは今の受験型教育の大きなテーマです。しかし、こどもアカデミーはその向こうに広がっている「様々な可能性の世界」を見ています。
 
例えば、ロンドンのUCL(University College London)。ここの様子をご覧ください。そこには「いろいろなアイデアをテクノロジーを使って実現していく」というコンピュータサイエンスの哲学を幹にして「魅力ある知見」と「学生同士の学び合い」がどんどん膨らんでいます。

ユニヴァーシティカレッジロンドン(動画紹介)

こどもアカデミーは、小学生と中学生のうちからこうした「新しい学び」と「仲間で教え合う、シェアする」学習環境を提供できたらと願っています。

「STEAM」で階層を乗り越える

日本もすっかり階層社会になってきました。家庭の経済力や親の学歴職業、都会と地方など。そして子どもの教育環境や成育はこうしたものに大きく影響されます。
 
STEAMと呼ばれるコンピュータサイエンスとアートを中心とした学びと体験は、そういった社会の壁を打ち破ることができるとてもパワフルな武器です。
 
海外のデータを見ても、小さいうちからコンピュータに親しんでいる子どもは社会の壁にかかわりなく学力とキャリアを広げています。
 
こどもアカデミーは都内だけでなく地方のお子様にも、今一番必要な良質の学びと環境をお届けします。

なぜ子どもたちはプログラミング教室に通うのか

去年は東京と群馬で600回以上教室を開催しました。1年以上通っている子どもも多く(長い子どもは4年とか)、その間の子どもの様子や変化は大体頭に入っています。お母様方とも毎回色々な話をします。そこで得た知見は、役所のためにポッコリ作った実証データとは精度と深さが違います。

「なぜ子どもたちはプログラミング教室に通うのか」。この質問に対する答えは2つのレベルで異なります。一つは「通い始めた動機」、もう一つは「通い続ける理由」。

前者については、よくあるキャッチコピーと同じで「時代に必要な知識とスキル」「プログラミング教育必修化の先取り」「得意を見つける、伸ばす」といったものです。子どもの取組み姿勢は「アグレッシブ」「とりあえず」「いやいや」に大別できます。「親の野心」の度合いも影響します。

後者については、あまり世の中に情報として出ていません。長く通っている子どもについての、ある程度のボリュームを持った時系列的なデータがないからです。

当社のデータはすべて、一人ひとりの顔と性格が浮かぶ子どもとのやり取りに基づいています。「なぜ子どもたちはプログラミング教室に通い続けるのか」。その理由は圧倒的に「勉強でも遊びでもない第3の時間」がそこにあるからです。

もちろんプログラミングの上達を目指して上に抜けていく子どももいます。あるいは親にやらされて来る子どもは長続きしません。でもかなりの割合の子どもたちがずっと通い続ける理由。それは「押し付けられた勉強と遊び(勉強逃避)の緩衝地帯」になっているからです。

プログラミング教室に行くと毎回なにか「興味深い学び」があることも、後ろめたさを感じないで堂々と通える要因になっているようです。なにせ大人の知らない学習領域ですから「こんなこと勉強したよ」と話すと、それが大したことでなくてもお母さんは「すごいわね」とほめてくれます。

プログラミング教室は、国や関係者の大人の思惑とは別に「追い詰められた子どもたちの行き場」として色々な方向に展開できそうです。強制力が強いマインドセット型の日本の教育。このバランサーとして、プログラミングを超えた役割を担えたら、と思っています。

Scratchの写経(邪道かもしれませんが)

いつも「プログラミング学習の外部要因」みたいな話ばかりなので、「実際にやっていること」をご紹介させて頂きます。

これは地方(群馬県高崎市)の教室でやっている内容です(東洋経済ONLINEの記事)。

「プログラミングがはじめての小学生7~10人(年齢差あり)に、どうやってプログラミングの楽しさを体感学習してもらうか」が狙いですが、授業ではまず面白いScratchゲームをプレイさせて、興味が高まってきたところで「テキストを見ながら自分で作ってみる」から始めます。

「模倣は学びの原点」と言われていますが、多くの子どもは自分なりに咀嚼して表現(アウトプット)を変えていきます。こうした様子を目の当たりにすると、邪道かもしれませんがテキストの写経は、パソコンに慣れていなかったり、プログラミングを知らない子どもたちに楽しさをわかってもらう、悪くない引き込み口かもしれません。

 

みんなが同じ方向を向いてた時代

昭和も平成も結局は誰もが同じ方向を向いて同じことをしていました。

団塊世代の個人主義は団体旅行で自分勝手に動くレベルのワガママでしかなかったし、最近の自由な世代も村社会の中での変わり者程度です。

でも世の中は本当に変わってきています。それは日本が自転変化しているのではなく、どんどん変わる海外の国々に追いついていかなくてはならない状況だからです。残念ながら今でも、日本人は外圧でしか自分たちの既成社会を変えることはできません。

これは「DNAの呪縛」によるものですがそれについては横に置くとして、外圧であれなんであれ、自分を変えていかなくてはならなくなった日本(人)はどうしたらいいのでしょうか。

「自分の好きにやらせてよ!」と大きな声で叫んでいたのに「だったら好きにすれば」と言われた途端、何をしたらいいかわからずに大人しくなってしまう日本人。

私もその中の1人ですが、最近「自分の学校を作る」ことを考えています。平成が変わろうとしている今が、マインドと行動を切り替えるビッグチャンスです。

パソコン教室はどこへいく?

20年前に隆盛だったパソコン教室も、今やシニア相手の商売になってしまいました。スマホとタブレットでどうにか息をついていますが、お年寄りが減ってくれば一緒にチ~ン!

そんなところに降ってわいた子ども向けプログラミング教育ですが、果たしてこれが特需になるのかどうか。話題が大きかったので期待も高かったのですが、ちょっと雲行きが怪しくなってきました。

一つは「小学校でプログラミングは教えない」という文科省の腰砕け。他の教科を押しのけてパンパンの時間割に割って入る覚悟もなければ教える人もいない。「理科や算数の中でうまいこと使ってね」レベルに大幅トーンダウンしています。

もう一つが「お国を挙げての大改革にしたい」という政府の意気込み(パフォーマンス)。「学校ができない部分は民間で」ということで、ペラペラの謝金(もしかするとタダ働き)で民間人材が駆り出されて、各地で週末教室が開催されることになりそうです。

そしてパソコン教室の淡い期待にとどめを刺すのが、商工会議所と学習センターの無料講座。定年SEや退役教職関係者が「アレコレタダで教えます」という流れ。

ご家庭の大半はまだ「プログラミングってな~に?」のレベルですから、内容も効果もわからないものにお金を払う人は多くありません。

ということで、もしパソコン教室の関係者で「子ども向けプログラミングを商売の柱にしていく」とお考えの方がいらしたら、規模の大小にかかわらず「ガツンとくるテーマとカリキュラム」が必要です。そしてなによりも「教える力(講師の資質)とパッション」がないと子どもはついてきません。ある意味、大人よりシビアです。

押し出されるか、それともニッチを押さえるか。とてもチャレンジングな勝負です。

【SOS】先生がアブナイ

先日、プログラミング教室の小学生に今年の10大ニュースを聞いたら、1位が「Switch買ってもらった」で、2位が「毎日が学級崩壊」でした。この子の学校は都内のイイトコにある公立なのですが、ほかのみんなの学校(名門私立校とか)でも授業が荒れててタイヘンだとか。

この話を、公立と私立で長らく校長を経験されていた長老にしたところ「先生のなり手がどんどん減ってる」と嘆かれていました。発達障がいの先生や、フリースクールから大学進学して採用試験に受かった先生も出てきているそうです。

学校の先生はフツーの人より献身的な配合成分が多いと思うのですが、アクシデントのたびに1人倒れ、また1人減り、職場離脱していきます。職場環境がかなりヤバイことになっているのしょう。

どこかの記事で先生を対象にした「プログラミング授業に賛成/反対」アンケートの結果が出ていました。半分以上の先生が「今の時代、やったほうがいいと思うけど」派でした。でも先生の置かれた状況を見ると、まともな Execution は無理です。

国を挙げての(といってもかなりのトップダウンで非教育関係の外野席が超ウルサイ)プログラミング教育推進は、現場にお任せスタイルだと「総論賛成、各論ゴメンナサイ」で腰砕けになるような予感がします。

見栄えのいい施策の前に、先生を危うくしている「学校の3大隠し」をなんとかしないと。長年放置していたツケの清算が先決です。

プログラミングで「下こぼれ」を防ぐ

子どもたちの世界にどっぷり浸かっていると、いろんなものが見えてきます。その中で気になっているのが「下こぼれ」。ちょっと勉強でつまづいた子は、放っておくとジワリジワリ勉強から離れていきます。

大体は「勉強がわからない」ところから離脱が始まるのですが、お受験や塾で「学びのトレーニング」ができている子と、そうでない子はまずここで差が出ます。そして同じ授業を受けていても吸収力(学習効率)が違ってきます。

当然できない子は「授業がわからない(勉強ができない)⇒友だちと比べられたくない ⇒勉強に背を向ける」といった負のフローチャートにはまっていきます。子どもの世界はある意味シビアですから、自分たちで「グループという名の階層」を作っていきます。

そのとき大人が言うのは「しっかりやりなさい」「もっと集中して」「どうしてわからないの?」のお決まり3連発と、「ちゃんとできたら好きなもの買ってあげるから」的な甘いささやきです。でもこうした言葉は、やがて子どもの耳を素通りしていくようになります。

アメリカのプログラミング事情を見ていると、スーパーサイエンス的な人材育成を進める傍らで、底辺の子どもたち(家庭環境や学力など)をサポートする手段として、プログラミングやマイクラを教育の場で活用しているケースが多く見受けられます。

優秀な人材をさらに上に引き上げるだけでなく、下の方にこぼれ落ちていってしまう子どもたちをしっかり受け止めるディフェンシブなプログラミング学習。プログラミングが職業に結びついた実益的な要素を多く持っていることを考えると、日本の公学校は後者にウエイトを置くといいかもしれません。

イレブンナインの日本社会

日本人は良くも悪くも完全完璧を目指す民族です。そしてそれは教育や職業を通じて、「99.999999999%」という9が11個も並ぶ純度や精度を信仰する人たちを増やしてきました。

日本ではいろいろな場面で「それはあってはならないこと」という言葉をよく聞きますが、世界の常識は「何が起きても不思議はない」。「すべては当然起こりうる」を前提に社会システムが組まれています。

日本人のイレブンナイン信仰はこれまで、工業や研究開発、品質、サービスといった面でプラスに作用してきました。しかし、世の中が日本だけでなく世界規模で繋がってくる時代になると、逆に変化や成長、チャレンジの大きな足かせとなってきています。例えば

▲日本人の3K気質(気配り、こまかい、気が小さい)
 ⇒ 気にしすぎ、過敏症で、極端にアウトプットが低い

▲企業のCSS体質(コンプラは大丈夫か、失敗したらどうすんだ、そらみたことか)
⇒ 結局は「なにも変えないのがベスト」に収束する

▲学校のYMM主義(よく読め、見直せ、間違えるな)
⇒ 予定調和型の安全運転人材しか育たない

かつてはイレブンナイン信仰でシアワセを膨らませた日本人ですが、いまやそれでシアワセが小さくなっています。煮詰まったイレブンナインが自分たちの首を絞めるようになったとき一番の被害者は、これから人生を生きていく子どもたちです。

英語が話せない、自信のない答えは書けない、試行錯誤より正解を大切にする、等々。思い当たることはたくさんあります。これらはどれも「教育や社会環境による大きな副作用」と言えます。

「いろんな人がいる」「いろんな考え方がある」というデコボコな多様性を受け入れる社会や時代では、「失敗は当たり前」という気持ちでどんどんアウトプットすることと、それを積極的に応援する手段と環境、社会の度量が必要になっています。

目の前の1人の子どもを助けられますか?

EduTechやら教育改革やら。テクノロジー(と企業)の後押しで、毎日のようにプログラミング教育のニュースが流れてきます。でも多くの学校現場はまだ静かです。
 
その理由はいろいろありますが、一番気になるのは「大きな話をする人たちは子ども一人ひとりを見ていない」という点です。
 
システムや運営は「組織と業務の効率化(Optimization)」の問題です。それに対して、現場の先生方が心血を注いでいるのは顔の見える「粒粒の子ども」です。このマクロとミクロの大きな溝をしっかり埋めておかないと、ことはいつまでたっても「議論の空中戦」ばかりで上手く進みません。そして最後は「行政の力づく」と「現場の面従腹背」というシナリオに流れていきます。
 
教育コンテンツに携わる人たちはパソコンの前でアレコレ空想しているより、1人でも多くの子どもたちと話をしてみてください。お母様方の声も参考になります。
 
教育産業の方に必ずお聞きする質問があります。「それであなたは目の前の1人の子どもを助けられますか?」。勉強がニガテな子が、本当に勉強が好きになったりカシコクなったりするのですか?
 
今、多くの子どもが「教育の板挟み」になっています。これに対する自身の経験とビジョンがないと、「出来のいいデバイスやコンテンツ」だけでは現場の先生方や家庭の共感は得られません。
 

“Nice try” “Good challenge” と言おう

アメリカにいた頃、少年野球を見ていたときの話です。バッターの子どもが頭上高くのトンデモ球に手を出してしまう。当然当たらない。でも見てる大人や子どもは「Nice try (惜しいね)」とか「Good challenge (いいぞ)」とか言って応援してくれます。
 
日本がどうかはよくわかりませんが、最近はさすがに「なにやってんだー」はあまりないと思います。「よく見ていこう」のような無難なアドバイスが多いのではないでしょうか。
 
さて、子どもがチョイヘマして焦っているときに、周囲がかけてあげる言葉はどんなものがいいでしょうか。その場面だけを切り取って考えるだけでは正しい答えは出ませんが、ひとつ言えることは、ポジティブな姿勢をしっかり見てあげる気持ちが大切だと思います。
 
アメリカの職場では、シクジって気落ちしている同僚に対して「Tomorrow will be better」とか言ってあげたりします。もちろん「Forget about it」という言葉はみんな大好きです。「失敗、リセット、再挑戦」が成長の3点セットだということを誰もが知っています。
 
Confidence & Challenge。大人が子どもを応援するときに一番守ってあげたいものはこれではないでしょうか。
 

日本ダントツ「自信のない若者」

世界の主要国を比較したちょっと前のデータです(対象は13-29歳の若者)。日本人は謙虚な国民だとは思っていましたが、これはもう謙虚を通り越しています。「自分に満足している人」はわずか7.5%、「自分に長所がある人」は15.2%。
 
どうしてここまで日本の若者は自分に自信がないのでしょうか。
 
「長所や得意がない」「欠点が多い」「痛い失敗体験」といったストレートな理由、国民性や文化による強気(Overestimate)と弱気(Underestimate)など、いろいろな要因が考えられます。
 
一つの見方ですが「社会が過度な画一性を求め」その結果「個人の自由と自己肯定意識が低下している」点が気になります。
 
日本は長い歴史の中で「単一民族、単一言語、単一国家のハイコンテクスト社会」を作り上げてきました。そしてそこでは「異質は排除する」「期待される自分になる」ことが大切な行動原理となってきました。
 
しかしこの副作用として「多様性に対する臆病なまでの警戒心」が身についてしまっています。また学校や企業を通じた人材育成では「高品質の規格品=ミスが少ない人材」の量産には成功したものの、次期モデルへの転換(高度人材の育成とボリューム層人材のデジタルスキル化)は手つかずの状態です。
 
失敗しないことばかり考えている企業、先生の教えたこと以外は〇にならない学校。尊い失敗や独創的なアイデアもその多くは、なんらかの理由をつけて切り捨てられます。どんどん保守化していく日本にあって、世界的なダイバーシティの潮流をどう受け入れていくか
 
「若者の自信のなさ」は大きな変革局面における「板挟み状態」の危険シグナルです。そしてSTEMはジレンマを脱する有力な解法と言えます。
 

<参照データ>2014内閣府「若者の意識調査」